断片の物置、跡地

記憶の断片が散乱するがらくた置き場

プレイヤーは失敗を求めない

 RPGのプレイヤーは、可能な限り全ての判定に成功しようと試みます。
 失敗が不利な状況を招いたり、敗北に繋がり、楽しい時間を損なう危険性があるからです。
 ところが、全てが順調に進んだセッションよりも、失敗などによりギリギリまで追い詰められつつも勝利したセッションの方がずっと盛り上がり、記憶に残ります。
 RPGの究極的な勝ちは、参加者全員が楽しい時間を過ごすことです。
 ならば、停滞しない程度の失敗を重ねつつも最後は勝利することが、最適解のはずです。
 ところがRPG慣れしたプレイヤーであっても、いやベテランの方が更に、判定一回の失敗を嫌います。
#nacky7さんが書かれている通り、ここによじれを感じずにはいられません


 これは、ストーリーを志向するシステムであっても同じです。
 例えば深淵は、大失敗をプレイヤー自らが選択可能なシステムを備えています。ところがこれを活用するプレイヤーは極々希です。
 RPGに復帰してからの最近2年だと、1度しかありません。しかも、そのプレイヤーは僕自身だったりします。
#少なくとも自分の環境では、と補足


 ルール上の対応としては、途中の不利をラストの有利さに変換する仕組みを組み入れるケースがよく見られます。
 スペオペヒーローズのネガティブ・ヒーローポイントはなかなかに秀逸だと未だに思います。
 FateRPGのAspectは、不利な面をプレイヤーの意志で発現させることが可能であり、行った場合フェイト・ポイントが供給されます。これも同じ発想の線路上にあると言えるでしょう。
 あるいは、シーンを多用するタイプでは、負けシーンであるとGMが明言して、演出的に負けてもらうという手法もあるようです。
 ただ、これだと仕掛けが丸見えすぎて、後半の盛り上がりに繋がるかは、プレイヤーの資質に左右されるかもしれません。


 海外インディ系のストーリー・ゲームでは、その傾向を逆手に取るものもあります。
 多くのGMレスなシステムでは、PC同士を競い合わせるようにして、結果的に予想外のドラマを生み出します。
 加えて、常に成功を求めるプレイヤー心裡から、当人が思ってもいなかったような副産物を生み出す仕掛けがなされていることすらあります。
 判定の成否よりも、実はそちらの方が重要だったりもするのです。


 先日、RPGという遊びを伝えるには?で紹介した、John Harper氏によるミニ・ゲームを思い起こしてみましょう。
 あのゲームは一見、プレイヤーが尋問により真実に到達すること、すなわち勝利を目指して頭をひねってもらうだけに見えます。
 しかし、真実にたどり着くためには、過酷な手段が必要です。
 プレイヤーは、フィクションとはいえ目的のために自分がどれだけのことができるのかを、目の当たりにします。
 加えて真相を聞き出した後、罪悪感から妻を庇っていた相手に対し、疑いだけで自分がなしてしまったことに直面することにもなるでしょう。
 尋問の成否よりも、この仕掛けにプレイヤーを絡め取ることこそが、このミニ・ゲームの目的ではないかと僕は見ています。
#全員がそこまで考えるとは思えないし、単なる深読みかもしれないけど


 単純な勝利と敗北を越えたところで楽しみをえられるところに、RPGの奥深さがあるし、だからこそ僕はRPGという遊び惹かれ、長期中断を挟んでもなお続けているのだと思います。