自由度と協調性(途中まで)
寒さで目が覚めたので、ヒーターの熱が体に染み渡るまで、しばし好き放題書きます。
昨日のリストからの流れで、滅多に読まないTRPG論考系の記事を幾つか目にしたためか、いらぬ考えがふわふわと浮かんでは消える状態になってます。普段のTRPGに対する基本スタンスは、遊んで楽しければok、なテキトー人間なんですけどねん。分析とか「べき」論を扱うのは面倒な上に、地雷がたっぷり埋まっているので触れたくないのが本音です。が、せっかくなの少しだけぶっちゃけてみます。
TRPGは自由度の高い遊びとされています。
もちろんそれは犬に食われるレベルの自由ではなく、協調性の上に成り立つ自由です。で、必要とされる協調性は幼稚園で注意される程度のものです。「人がいやがることをするのはやめましょう。相手にされるのが嫌なことを他人にしてはいけません。自分がされて嬉しいことをしてあげましょう。」と、以前Yさんがいうてたよ。
しかし、キャラクターに入れ込んでしまうためか、当たり前のことを見失ってしまう場面がTRPGのセッションでは起こります。ルールブックには大抵その類の注意書きが含まれていますね。個人的には、注意書きの項目を全部ひらがなで記せば、著者の意図もより明確に伝わると思っていたりしますよ。
#眠いだけあって横滑りに際限がありません。ごめんなさい。
じゃあ、暴走をルールで徹底的に禁止して、アホをセッションから蹴り出せば済むかというと、そんな話ではありません。
TRPGという遊技が提供する、他の遊びではほとんど得られない楽しみの一つに、キャラクターへの没入があげられます。自分のキャラクターへの共感と言ってもいいかもしれません。
極端な話、瑕のない完璧なストーリーを紡ぎたければ小説を書いた方が報われるし、緻密で戦術的な戦闘がやりたいならボードゲームやコンピュータゲームの方がよくできており手間もかかりません。そこに自分の没入するキャラクターが携わるからこそ、よりスリリングで、より心躍る楽しみと興奮が生み出されるのです。
しかし、行きすぎた没入は当たり前の協調性すら損なう危険があります。
とはいえ、あえて書き加えますが、キャラクターに入れ込んで突っ走ることが、一概に参加者を不快にさせる訳ではありません。セッションを大いに盛り上げ、GMも想定していなかった意外なお宝を掘り当てることがあるからです。快不快は紙一重で、当人のエンターテイメント性の差としか表現できないことすらあったり。リプレイ本の名物とされるプレイヤーたちを思い返していただければ分かりやすいのではないかと存じます。
#個人的には、全員が行儀よく、粛々とセッションが進行してもつまらないとすら考える立場です
キャラクターへの没頭と、協調性のバランスを取る工夫はいくつもあります。
例えば、パーティから離れ愚かな行動を取ったキャラクターを、自滅させる形で命の危機に陥れ、それでもやめないならぶっ殺すのは古典的な手法です。一般的に、没入しているプレイヤーは自分の命がかかると、敏感に反応するものです。互いに協力しないと生き残れないダンジョンとか、極端な環境に放り込んじゃうのも手ですね。
自分も大概没入&暴走プレイヤーなのですが、単独行動中に後ろからサブマシンガンで射殺されそうになったとか、さらに敵か味方か不明な相手に頼ろうとしたら斬りつけられて路上を転がる羽目に陥ったとか、ヴァルモンの強制収容所から脱出するシナリオで死ぬ目を見たとか、さんざんトラウマを刻み込まれて更生しました。いやま、それでも時々暴れますけど、少なくとも他人を楽しませるよう心配りを行っているはずです。・・・たぶん。
ちなみにうちのサークルの伝統では、キャラクターが愚かしい死を迎えた場合「セッションが終わるまで、お前はそこで黙ってみていろ」が基本らしいです。スパルタ教育もいいところ。さすがに近頃では、実行されているのを見たことはないけど。
ただ、こういった気づかせるアプローチは時間と手間がかかりますし、昨今のようにコンベンション盛んな環境に合致しているとは言い難いでしょう。だいたい、百万遍叩き込まれても意に介さぬ人間もいますからね。僕みたいに!
そこで見逃してはならないのは、システム側からのアプローチです。
・・・と、ようやく本題に入るところで眠くなったので終わります。
気が向いたらそのうち続きを書きます。