断片の物置、跡地

記憶の断片が散乱するがらくた置き場

プレイヤーとしての欲求

 多様な遊び方ができることは、TRPGの大きな魅力です。
 システムの指向性、サークルや卓ごとの文化、あるいはGMの傾向によって、何を「ゲーム」とするかが異なります。任務の達成、戦略、野心の成就、物語の生成など、セッションを通してなされることは多彩です。


 しかしながら、プレイヤーもまた、個々の嗜好や文化を有します。
 卓にあわせて切り替えているつもりであっても、プレイヤーの好みは随所に染み出してしまいます。時にはGMの提示する遊び方を許容できないことだってあるかもしれません。
 コンセンサスの重要性はもちろんのことですが、理性では受け入れていても本能が拒絶する事態は、往々にして起こります。うちの狭いサークルですら、特定GMには似たプレイヤーしか集まらない、あるGMの卓にはまず参加しないプレイヤー、といった姿が(希ながら)観察されます。
 別に悪いことではないのです。
 水の合わないとわかっている卓に突撃したところで、双方が気まずい思いをするだけに終わる危険性があるのですから。


 僕自身は、比較的多くのタイプのセッションに対応でている、と自認はしています。
 演じ分けができるキャラクターのストックが多いという意味ではなく、GMが求めるスタイルにある程度の切り替えが利くという程度ですが。それでも、ミッション型から演技偏重、PvPからストーリー志向まで、出された料理はとりあえず作法に則って食すことができるつもりです。
#内容が筆舌に尽くしがたいと判断したら壊し屋に豹変することもありますが、
#それはGMのスタイルが好みにそぐわないジャンルに属することとは無縁です


 ただし、どんなセッションであっても最優先する項目があります。
 それは「キャラクターを通しての体験」に重きを置くという、プレイスタイルです。
 メタ感の強いシナリオや、常識を取っ払う不条理さを楽しむスタイル、あるいはプレイヤーの自己演出を最優先するスタイルなどにも、それぞれの面白さはあります。過去にそういったセッションを満喫したことも少なくありません。
 けれども僕にとっての(プレイヤーとしての)TRPGの根本は、世界体験なのです。
 それはGMの想像した世界、GMの目線を通してみた世界を垣間見ることでもあります。自分とは異なる感性との交流は、時に衝突すら引き起こしかねません。しかし、それも含めて楽しみに満ちたものなのです。
 ゲーム性云々以前に、このコミュニケーションが欠損したセッションは、僕にとって色あせたものとなります。GMとしても、プレイヤーから何かを引き出すことに焦点を合わせることがありますが、足下は同じです。


 みなさんは、プレイヤーとしてどのようなこだわりをお持ちですか?