ストーリーを主眼とするRPGの概要
さて、先の記事で自分のプレイヤーとしての基本スタンスをあげました。
TRPGをストーリー・ゲームとして遊ぶ場合の基礎要素が、そこには見られます。
すなわち、伝統的なRPGによくみられる「GMの作ったゲーム(調査、戦闘、交渉、悪漢など)の中でプレイヤーが様々な判断や創意工夫を凝らし状況を前進させる」よりも、「プレイヤーの興味とキャラクターの動因がGMの準備した状況に多彩な局面を作り出していくゲーム」を主軸とする遊び方が。
この分類は非常に乱暴である上に、自分の遊び方を基準とする傲慢な分け方とも言えます。だいたい、この二つの遊び方は共存可能です(手間はかかりますが)。
便宜上の分類に過ぎませんが、もしも癇に障る書き方だったらごめんなさい。
では、後者の遊び方にGMも軸足を移すなら、セッションにどのような変化がもたらされるのでしょうか?
まず、「シナリオにそった道筋」や「用意した最終局面」へと状況を誘導する必要が無くなります。
逆に重視しなければならないのは「PCに行動を促す状況」となります。PCの行動こそが物語を切り開いていく原動力なので、彼らを案山子にしてはなりません。
状況を放置すれば全員が巻き込まれるカタストロフィが巻き起こるなり、個々の事情で直面せざる得ないなり、プレイヤーに興味を抱かせる局面なりを提示してください。ハンドアウトなりの事前設定を活用すれば、ハンドリングが容易になるでしょう。
セッションの区切りは「GMが準備した状況が何らかの結末へと至る」か「セッションを通して中心となったPC(たち)の物語がひとまず決着する」あたりでつけるのが妥当でしょう。GMの準備した要素、PCの行動の結果生じた要素、それら全てを拾い上げる必要はありません。
このスタイルにおいて、PCたちが状況に打ち勝つ必要はありません。
最終的に破滅したとしても、プレイヤーがそれまでの過程を堪能できればセッションは成功と言えましょう。
だからこそ、参加者全員のコンセンサスや相互信頼にはどれだけ気をつかっても、やり過ぎということはありません。コンベンションで初顔合わせといった環境には不向きな可能性もあります。
この種のセッションにおける「判定の失敗」は、GMが新たな展開をもたらすチャンスとしてとらえることができます。少なくとも、判定が成功しないために、場が停滞することは希です。
GMはPCたちの状況を容赦なく悪化させてもかまいませんが、より望ましいのは次の行動を誘発する展開を挿入することです。失敗の後であっても、プレイヤーの創意工夫により状況を打開する機会は、常に頭の片隅に置いてください。
また、PCの間柄が緊張をはらんでいるのなら、誰かの失敗は他のPCを優位に立たせるかもしれません。
GMはほどよく調整を加えながら、PC同士、プレイヤー同士のコミュニケーションを促進してください。彼らの化学反応が、思いもしなかった展開をもたらし、セッションをより面白くしてくれるかもしれません。
システムに「ゲームの展開を(プレイヤー側から)恣意的に操作できるルール」が存在するならば、プレイヤーは自らの望む物語をより明確に示す手段を持っていることになります。
これは単純に成功を購入することのみを意味しません。
ある局面でゲームの展開を操作するリソース(ヒーロー・ポイントなど)を費やす、あるいは費やさないことは、プレイヤーの興味はどこにあるのか、PCにとって何が重要なのかを取捨選択する行為でもあるからです。GMには、プレイヤーの焦点が那辺にあるかを知り、それからの展開に活用するための手がかりを与えるでしょう。
プレイヤーの意志で失敗を選択できるルールも同じライン上にあります。
ただし、大抵は「代償として将来の有利さを得る」「他のルールとセットで生きてくる」など、システム毎に施されたデザイナーの意図と関係しています。
以上が、RPGをストーリー・ゲームとして遊ぶケースの概要です。
少なくとも、僕がGMする際は少なからずこれらに留意して遊んでいます。
同時にこの概要は、ストーリーを指向するRPGシステムのほとんどが、何故軽いルールで構成されており、バランスのとれた緻密な戦闘ルールなどと無縁なのかも説明しているとも思います。
複雑なルールを用いないのは、プレイヤーの意識を「何をしたいか」に集中させるためでしょう。
後者については、PCの選択によって動的に展開が変化するセッションでは、バランスのとれた戦闘を状況に合致させて挟み込むことが難しくなるからです。
単純に、GMの準備に要する労力を削減し、セッションの場で目を配るべきことを明確化する効果も期待できるでしょう。
追補すべき事柄メモ
- どこにゲーム性があるのか?
- フィクションが肝要