断片の物置、跡地

記憶の断片が散乱するがらくた置き場

少しの補足

 寒くて目が覚めた・・・。
 本当は下の記事を全体的に書き直したいのですが、投稿しちゃったものはしゃあないので、少しだけ補足をば。


 情報収集の話を例に出しておりますゆえに、ひょっとしたら誤解が生じたかもしれません。
 インディ系ストーリー重視のTRPGは運動などを含めた判定も同じように処理します。
 例えば、逃走した尾行車を追いかけるなら、運転でカーチェイスするか、ナビゲートで先回りするか、警察とのコネで足止めをしてもらうか、機械工作でエンストするように仕掛けておいたことにするか、いずれにせよ理屈にかなっていればなんでもええわけです。
 そして判定を行い、結果の善し悪しから何が起きたのかを考え、描写します。
 世界観を壊したり、常識的に起こりえないことの要望への歯止めは、GMと他のプレイヤーが行うこととなります。そのため、卓を囲む面子によって、リアリティの変動が発生するかもしれません。


 戦闘に関しては別処理とされることもあります。
 その場合でも、1ターン2秒の間にアレス・プレデターをセミオートでぶっぱなす、といった細やかなルール処理はあまりなされません。一回の判定を行い、その成否と度合いによって、何が起きたのか結果から描写する抽象的なルールが多いですね。
 最近、首どころか額のあたりまでどっぷり浸かり気味のDitVなどは、全ての処理を戦闘として行います。ダイスの目で何回かに渡って賭を行うわけですが、そこに描写やを積み重ねることで過程を形成します。DitVは更に、コンフリクトが終わる度に(NPCを含めた)キャラクターのデータがかなりの確率で書き換わるため、理由を考えていく必要が出てきます。これらが全部セッション時間にかぶさってくるわけですね。
#蘇る7時間超セッションの悪夢
 とはいえ、短い描写をお互いに繋ぐことでそれなりのリアリティは確保されているように思います。他者とのコンフリクトを通じて、キャラクターが変化する様を、データの追加(あるいは低下)というこれ以上ない明確な形で表現しているのも含め、やはりデザイナーの才気は尋常ではありません。


 おっと、話がそれました。
 何度も出ている「描写」はストーリー・ゲームにおいてコアとなる要素です。
 スタンダードなRPGにおける描写はGM主導で行われてきました。プレイヤーはせいぜい、自分のキャラクターに関する自己演出を行える程度です(台詞回しなどを含む)。
 日本のTRPGのいくつかは、自己演出をサポートすることで、セッションを盛り上げるファクターとして用いています。かっこのいい掛け合いや、大切な人との絆を確認することが、キャラクターたちを有利にするのですから、演出にも熱が入るでしょう。これはこれで、興味深いルールなのですが、ここで扱う描写とは少し異なります。
 ストーリー・ゲームにおける描写は、ナレーションに近いものです。周辺状況や他のプレイヤーの描写を拾っていかなければ、他の参加者からつっこまれることとなります。ストーリー寄りの視点でものを観ていくこととも言えるでしょう。世界を構築していく演出は、GMにも通じる面白さがあります。
 例えば、S7Sの場合「判定に失敗した際に、何故失敗したのかを描写するとスタイル・ダイスが1点以上もらえる」というルールがあります。周辺状況を巧みに取り込んでいたり、みんなを楽しませたり、単に見事な描写であれば、追加のスタイル・ダイスと訓練点がもらえるのです。物語世界との距離を縮める、なかなか秀逸なルールだと思います。
#大抵はナレーションしないと判定が進まない、という強制なんですけどね