断片の物置、跡地

記憶の断片が散乱するがらくた置き場

テーマを追求するための工夫

 お昼にグラタンを焼いたり、年賀状の作成を手伝ったりしている間に、太陽が顔を隠す時間になる。そんな休日。
 DitV関連で、シナリオ上にシリアスなテーマを置くことについてだらりだーらりと。
 思考が極端な方向に走っているため、読み飛ばし奨励です。オチもありません。


 DitVはあまり幅広い内容を扱えるシステムではありません。特化されたゲームと言えます。
 このRPGで扱われるのは「興味深いモラルの問題をPCにつきつける」ことです。番犬たちが訪れる町には、少なくとも二つ以上の対立が存在し、放置しておけば彼らの守るべきコミュニティは崩壊へとなだれ込みます。そんな中で、誰を裁き、誰に慈悲を与え、誰を放置するのか、そんな内容なのです。
 現実同様、みんなが幸せになれる正解は通常ありません。その上、町の秘密を解き明かしていく過程で、PCとNPCは変化しますし、暴力を加速させるシステムによって事故も起こります。全ての材料が出揃ったときに、必ずしも最適解を選べる状態にあるとは限りません。


 「How to GM」には「何が重要であるかは、プレイヤーの導きに従え」という項目があり、そのような構造にした理由が書かれています。
 一般的なRPGは、GMの提示する問題に必ずしもプレイヤーが興味を抱いてくれるわけではありません。そう、次のように。

GM「・・・そして大悪党は君たちに計画を明らかにする。それは装甲レーザー・シャークの群れが、世界を滅ぼすというものだった!」
プレイヤー1「いやいや、依頼人は世界を救うために僕を雇った訳じゃない。単に弟の行方を捜させる為に雇われたんだ。僕は帰って、弟の死を報告するね」
プレイヤー2「俺はプールサイドの女の子をまだ口説いているよ。覚えてる?」
プレイヤー3(GM所有のホワイトウルフ誌のバックナンバーを読んでいる)

 このような事態に陥らないために、PCを問題から歩みされない立場に置き、プレイヤーが考えなければならないモラルの問題を突きつけるわけです。想定されるシナリオの流れがないため、PCの行動は問題を直接的に動かします。その過程でPCの意見が対立し、時には殺し合いに発展することもあるでしょうが、全て許容されています。
 刺激が強く、毎回やるには胃もたれするスタイルです。シリアスの強要や、安易なハッピーエンドが存在しない構造を受け付けないプレイヤーもいることでしょう。楽しみでやっているはずなのに、不愉快な展開を飲み込まなければならないことだって起こりえます。インディ系RPGだからこそ許される特化、と言っても差し支えありません。しかし、テーマを受け入れてくれる面子なら、カタルシスと深みのあるゲームが行えます。


 ストーリー追求型のRPGは、ともすれば「全プレイヤーで共有するテーマが機能しない」という問題点を抱えがちです。
 例えば深淵は、個々の物語を追求するシステムです。往々にしてシナリオで提示されるテーマよりも、PCが各々の運命に翻弄されていく様の方が上に来ます。別々の道が交わるところに事件が起き、その後はまたばらけていく作りです。バラバラの物語をパズルのピースのように組み合わせて流れを作るのは、スリリングで面白く、それが魅力となっています。
 しかし、共通の基盤が存在しないことは、大きなテーマを追求する際の足枷ともなります。そのため構造型シナリオという遊び方が提案されている訳ですが、運命による強制力の強さが裏目に出て、上手く機能しにくい印象が否めません。お仕着せ感が強く、テーマに対するプレイヤー側のアプローチを制限しかねないからです。渦型のように、ランダム要素と、意外性をもたらすプレイヤーの行動あって光るシステムだと思います。
#一応、構造型でテーマも含めて成立する形をいろいろと追求したけど、
#今年の2月にA4ぎちぎち詰め10枚超のシナリオを作ったあたりで力尽た
#少なくとも、自分のGMスタイルでは構造型は上手く機能しないようです


 ストーリー追求のため準備されたがちがちの状況を、自己演出で味付けしたり、葛藤を挟み込むことでアクセントを与えたりすることが奨励されている場合もあります。キャラクターの葛藤が、物語の深みを増すと考えるのは自然なことでしょう。GMの側から葛藤を仕向けることもあります。葛藤とそこからもたらされる行動が、本編のテーマや結末に深く関わっているなら大いに意義のあることです。
 けれども多くの場合、葛藤は個人で完結してしまうものであり、ロールプレイに慣れてくると、小芝居でごまかしてカッコいい台詞を言う機会にしたり、回避して理知的な選択を行うのが容易です。実際のところ深みを与える葛藤というものは、プレイヤー・キャラクターではなく、PCを通してプレイヤー本人に突きつけられるものでなくては成り立たないと思います。ゲーム上の「→はい いいえ」ではなく、時には選択の結果に痛痒すら覚えるものですね。
 そういう意味でも、DitVの奨励するシナリオ構造は、テーマと真剣に向き合った珍しいアプローチといえるでしょう。
#初代天羅万象の頃に「精神破壊型シナリオ(だっけ?)」とかいうのがあったけど
#若干それに通じるものを感じます。現役の頃サークルでも一部で流行ったような。


 ただし、RPGは所詮遊びです。
 ダークな展開だけで不快になる人や、気分よく終わることができないのは邪道だと思う人もおられることでしょう。セッションで物語の深みを追求するなんて、単なる格好付けか、GMの自己満足に過ぎないとも言えます。
 全く持って正当な意見です。
 S7Sなどの頭を空っぽにして遊べる冒険活劇も大好きなので、大いに賛同します。
 同時に、日常では体験できない刺激を得たり、きつめのテーマに挑み参加者が各々の答えを出すのも、またRPGの楽しみだと考えているだけです。
 喜劇と悲劇に上下がないように、どちらが優れているか、という論は無意味です。自分がグダグダ述べ立てている理由はただ一つ。時間をかけて遊ぶ以上は、どのような方向性を持つにせよ、より快楽を得られるスタイルを考え追求したいというに過ぎません。
#TRPGは比較的時間と労力の伴う遊びなので。いやほんと。