断片の物置、跡地

記憶の断片が散乱するがらくた置き場

シナリオの想定と実セッション(修正)

 GMはプレイヤーにどこまでを求めていいのか?
 シナリオ作成の度に考える項目です。
 これにはいくつかの側面があると考えられますので、思いつきでとりあえず3つほどあげてみます。
 #途中で以前書いたことと被っている気がしてきました


 第一は状況の把握です。
 RPGの参加者は、通常は趣味も嗜好も世代も異なる人々の集まりです。なので、セッションでGMによって提示された状況の捉え方が実はばらばらの可能性があります。
 例えばファンタジー世界でお祭りに参加しているとしましょう。ある人は「怪しげな旅芸人の巡業と見物人」を、またある人は「巨大な火を囲み人々が酒を飲み踊る」光景を、そしてある人は「屋台が並び駄菓子や食物が売買される」神社のお祭りを想像するかもしれません。描写などで補っていくとはいえ、細かなところでイメージの違いは出てくるものです。
 特に世界設定や雰囲気の重要なシステムなら、「背景世界」に詳しかったり、イメージを共有できているプレイヤーの存在はGMにとって大きな助けとなるでしょう。
 自分の場合、「起きていること」が必ずしもシナリオの主幹ではないこともあるひねくれGMなので、「読み解いてくれるプレイヤー」の存在は非常に重要です。2/28のセッションでは「語られる物語、によって本質を規定される存在」というネタを扱いました。わかりにくい側面もある話を、Kさんが即拾ってくださいまして、助かりました。この場を借りて感謝します。3部でG氏たちと話をしていたときもその話題が出て、Kさんが参加されているときはかなり助けられているなあ、と再認識しました。
 同時に、わかりやすく伝えるための手法を磨くべきだとも。


 次はプレイヤー全体の行動指針です。
 たいていの場合はシステムの方向性によって規定されています。
 例えば現代ホラーものではファンタジー冒険者のようにモンスターを物理的に打ち倒すことを目的に動くのは難しいでしょうし、学園ラブコメもので軍事もののようにミッション達成を第一に探っていくのは無茶が出てきます。
 わざと定型を崩すことで楽しむタイプのシナリオもあるので、システムが提示しているものが絶対ではありません。GMとの間ですりあわせを行い、何を求められているのかをきちんと確認しておくべきでしょう。
 GMから求められているものがわからないのなら、勇気を持って聞き、GMもそれに対しては丁寧に説明するのが良いと思われます。なにか下敷きとする物語(小説、漫画など)が存在する場合、プレイヤー側が原作キャラクターたちの行動指針となる思考をトレースできず、GMの想定とは別方向にパーティが行動してしまった、などという話を聞いたこともあります。


 その先にあるのが各PCの行動と動機です。
 ハンドアウトなどで提示された設定や人間関係が主要部分に大きく関わるタイプのシナリオがあります。
 NPCとの恋愛感情や敵対関係が規定されていることもあれば、PC同士が呉越同舟だったりすることもあるでしょう。これにそったロールプレイや行動で盛り上がるシーンを構築していくわけです。
 プレイヤーの性格や知識と著しい乖離のあるキャラクターは、普通はプレイできません。また、同じ理由で複雑に造形された人物を渡すのは適切とは言えません。なのでステレオタイプな役どころを渡されるのがほとんどです。ラブコメ的恋愛感情とか、尊敬しているNPCがいるとか、善良であるとかその辺ですね。
 自分もPC設定のハンドアウトは多用しますが、内面に踏み込む設定の場合はプレイヤーに方向性を判断してもらうようにしているつもりです。必ずしもできておらず口惜しいのですが、例えば邪悪なる主人に仕えているという設定であっても、「狂信的に従う」「反逆の機会を狙っている」「自分の利益を守るため表面上は従う」などとれるスタンスは多彩です。
 恋愛感情については、NPCとの間に設定することはありますが、PC同士の場合は強制しません。ぶっちゃけていうなら、男同士でラブコメ展開の表層をなぞって何がおもしろいの? とか、身も蓋もないことを考えてしまう人種なので、その辺醒めています。
 プレイヤーとして与えられたときは、基本的にそれに従います。が、その設定から明らかに不合理な選択を強要されたり、展開が退屈だったりすると、あえて逆らうこともあります。もちろん人格を豹変させるわけにはいかないので、逆らうための理由付けはセッション中に作り上げるようにします。
 興が乗ってつい暴走、はシナリオで提示された状況が面白いのでノリノリになるということなので、許してください! としか言えません・・・。


 TRPGは参加者全員で時間を共有する遊びです。
 だから全員が楽しめるように努力を払うのはマナーです。その中には上記の3項目に従うことも含まれています。
 しかし、みんながお行儀良くすると、こぢんまりと小さくまとまってしまいます。GMの想定通りにすべてことが進んで、無事予定通りのエンディングにたどり着くだけのセッションは、綺麗にまとまっていてもすぐに印象が薄れます。
 個人的に記憶に残るセッションは、想定外の展開になだれ込んだり、PCの(ステレオタイプに頼らない)決断と行動が事態を大きく動かしたりするものが主です。危うい綱渡りのような、ダイナミックに揺れ動くライブ感はRPGの本質の一つであると信じます。
 遊びを支える形式を守ることは大切ですが、行きすぎればこの重要な要素を圧迫してしまう可能性があります。上記の項目はRPGの本質の一つを殺してまでこだわるほど重要ではない、というのが個人的見解です。


 あと、出版されているリプレイを安易に理想とするのは危険です。
 あれは、売り物とすることが前提の意識でGMもプレイヤーも望んでいるでしょうし、楽しく読めるように編集も加えられているからです。もちろんプレイヤーの性質と役回りは、GMとの間でコンセンサスをとっているでしょう。
 たいていは即興のプレイヤーにそこまで高度なことを求めるのは酷だと、やはり思います。