断片の物置、跡地

記憶の断片が散乱するがらくた置き場

『永遠の冬』

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 『深淵』のデザイナーである朱鷺田祐介さんが不定期ウェブ連載しておられた『永遠の冬』がとりあえず終了したようです。
 初版と第二版の間に起きた、北原において冬の魔族が一部地域を支配下に置いた出来事の裏話的な内容です。RPGサプリ時代から続いていた『深淵』世界の変化に関連した流れもとりあえず一区切り。ただ、一部の設定がRPGサプリ時代から調整されている印象も若干受けました。
 冬翼の王が魔族というより土着の神と「化した」のが、個人的には意外でした。雑誌掲載時から第二版で発生している各地で魔族の力が強まっている流れからして、「人の子に世界が受け継がれる戦い」における準備の一環だと思っていたので。
 あとはネタバレ込みの戯れ言です。


 少しだけ個人的な解釈を。
 冬翼の王を巡る暗闘は、表層上は避けえぬ魔族復活の被害を最小限にくい止めようとする魔道師学院と魔族の策謀との戦いでした。結果は、冬翼の王は蘇ったものの龍を封じるために自らも動けなくなったわけで、学院側が勝利したと言えるでしょう。RPGサプリだと完全に魔族の代理人だった「棘ある雛菊」が学院側の思惑に添って動いているのがかなり謎だったりするのですが、語られぬ物語があったのだと解釈します。
 で、この暗闘は次のようにもとらえることが出来ます。すなわち彼を魔族帝国の諸侯として蘇らせるか、人々の信仰に沿った形で蘇らせるか、そのような意味づけを行う戦いだったのだろうと。約定の公女により放たれた言葉故に、彼の復活は避けえなかった。けれども人の子が与えた冬の運び手としての物語に沿った存在として呼び起こしたため、彼は世界の敵対者ではなく、世界法則の一つとして調和の取れた土着の神になることができたのだろうと。
 私の考えでは『深淵』の魔族は、人の子を見透かし弄ぶ圧倒的な存在でありながら、同時に人の子の物語に束縛される存在です。信仰、すなわち神話という物語を与えられることによって大部分のものは有り様を変化させています。プラージュの神々に代表される穏健な信仰は魔族に人の子に好意を寄せる存在としての顔を与え、欲望を充足させるための血塗られた異端信仰は魔族の暗い側面を露わにさせます。信仰を失ったが故に力を喪失し本質さえも確かならざるものと化した「美しき太守」はそれを端的に表しているのでしょう。
 確たる信仰抱かれぬ者たちでさえ、自らを定義するための物語を人々に広めています。ただ恐怖を持って口にされたり、子供を寝かしつけるために話される夜話という形をとって。語られなくなった時、彼らは世界との繋がりを失うのではないでしょうか? それが、信仰を拒絶するとされる「吐息の大公」ですら、異端の詩人に自らの物語を語り継がせている理由だと考えられます。(彼の場合は『鎖の王』として、あるいは恐怖の魔王として、多くの物語を持っており、それが力の源になっているとも思われますが)
 「海の騎士」に代表される信仰を離脱した魔族たちは、「約定の公女」あるいは「猫の王」によって隠されていた物語が世界に解き放たれたことにより、かつての自身を取り戻したのでしょう。そして、それすらも「人の子に世界を受け継がせる戦い」という物語を語るための一つの道具立てではないかと、勝手に妄想しています。


 深淵の世界観を伝えるためRPGマガジンに掲載されていた『槍の白馬』においても、最後はルハーブの復讐鬼と化した物語自体を変えることはできなかったものの、ほんの少しの安らぎを与えることができた、という締めくくりだったと記憶しています。語られた物語によって元あった本質すらも変化する可能性があるという世界観は、メタ的な視点、すなわちストーリー重視のRPGにおいてゲームマスターとプレイヤーが物語を紡ぎ出す、という『深淵』のシステム設計とも密接に関係したデザイナー氏の思想なのでしょう。
 それこそ私が『深淵』をもっともお気に入りのシステムとしている理由の一つです。