断片の物置、跡地

記憶の断片が散乱するがらくた置き場

セッションのサポート話をつらつらと

 セッションをサポートする話は、実例を交えた記事がいくつか書けそうなので、しばらくこのネタをいじくってみることにします。ここんとこルールブックを何冊か読んでいますが、FEARのシステムは「セッションの進行を助けた」ことに経験点がつくようになっているケースが多いようですね。コンベンション前提だとそうせざる得ない所があるのは理解できます。けれど、一部のシステムに見られるプレイヤー・キャラクターに対するモラルの強要と同じく、それによって阻害されうるRPGの楽しみもあるのでは?というのが私の考えです。


 TRPGに慣れてくると、ゲームマスターの傾向や好むネタからシナリオの先読みが可能になってきます。また、シナリオで負わされた試練の簡単な突破方法に気がついてしまうことすらあるかもしれません。
 例えば、序盤で出て来たPCと親しいNPCが、中盤で敵に誘拐されるのを先読みしたとします。それがシナリオのラストを盛り上げるための仕掛けだとして、あえてそのNPCを放置するのか、あるいは無理にでも一緒に行動させるなどして拐かしを阻止するか。
 ゲームマスターに協力する側に立つなら、みすみす誘拐されるのを待つという選択がセッションをサポートすることになるでしょう。ゲームマスターによっては中盤以降の展開に固執する可能性もあるため、そうなった時にプレイヤーとの綱引きでグダグダさせないためにも、これは一つの正解です。けれども、プレイヤーのタイプによってはセッションで降りかかる火の粉を最小限に抑えることを好む人もいるし、そういったイベント的なNPCの使い方をGMの押しつけと感じる人もいるかもしれません。そうであれば誘拐阻止に尽力するのも、間違った行動とは言えないわけです。
 あまり適切じゃない実例ですが、かつて自分が『深淵』のゲームマスターをやった際、PCに熱狂的な忠誠を誓うNPCを出しました。彼はPCに協力する別NPCが怪しげな行動に出ているのに気がついており、PCと相談しつつ調査に乗り出しています。シナリオ終盤は、反目し合っていた諸勢力(PCたちが率いるのも含む)が手を結ばざる得ない状況が起きるのですが、その一番重要な話し合いの時に忠実なNPCが調査の結果(協力関係を築けなくなる情報)を(本人は気づかぬまま)嬉々として報告するという、いわば爆弾としての仕込みでした。結果的には、PCは独自に怪しげだったNPCと腹を割って話をする機会を設けたため、報告はPCによって強制的に中断され、PCたちはさらに悲惨な状況に落ち込むことなく切り抜けました。にっちもさっちもいかなくなった時の展開もシナリオには書いていたため、爆弾が不発に終わったのはちょっと残念でした。しかし、プレイヤーが非協力的だったせいだとは考えてません。むしろ逆です。NPCが報告を始めたとたん、忠誠の対象であったPCに刺された上に黙るように命じられ、やり場のない憤怒の視線を忠誠の対象であったPCに向けるという面白げなシーンができたので、結果的にはセッションを盛り上げるという形でサポートしてもらったとも言えるからです。


 ではシナリオで課された試練にゲームマスターの気がつかなかった抜け道があって、それに気がついてしまった場合はどうでしょう? これは伝聞なのですが、とあるセッションで迷路を抜けるという展開になったそうです。現代物だったのでプレイヤーの一人が、はしごをとってきて上から突破すればいいんじゃないかと提案し、結局その方法で迷路で迷うことなくそのパートは突破されたそうです。解いて楽しむという試練を蹴り飛ばしたプレイヤーはゲームマスターからすればセッションを妨害したと思えるでしょうが、プレイヤー的には創意工夫で試練を突破したと主張するでしょう。一見するとプレイヤー側に分があるようにみえますが、それがセッションの興をそいでしまうこともあるので、これも一概にどちらが正しいとは言えません。
 おそらくTRPGという遊びは、こういったせめぎ合いを本質的な楽しみとして含んでいるんだと思われます。プレイヤーの自由意志を尊重したゲームマスターの柔軟な対応によって、コンフリクトからより面白いセッションを作り上げて行くことが理想でしょう。しかし、TRPGは会話によるコミュニケーションという土台の上に構築されるゲームなので、土台の強度による調整が常に必要とされます。人間関係に関わるだけに、この調整を見誤るのは時として致命的な結果を生みかねません。事故が起こりにくいように、最初から枷をつけようというのがルールブックに書かれている「セッションの進行を助ける」の意図なのでしょう。