インディーズ系RPGへの印象
Indie RPG AwardsにはMost Innovative Gameという賞が設けられています。
読んで字のごとく革新的なゲームに与えられる賞なのですが、この革新性こそが独立系のRPGにおける重要なキーワードだと思います。ゲームの独自性を打ち出し、新たなアイデアを形にする。大手が冒険できない深淵へと斬り込んでいくことは、小回りの利く独立系の強みであると同時に、製作者が誇りにしているような印象すら受けます。
そして、独立系で蓄積されたアイデアは、独立系デザイナーの間で相互作用を引き起こしています。ちょうど、映画のアイデアが巡り巡って多くの製作者の手に触れつつ、新たな側面を生み出すのと同じに。古き革新は、洗練されたより完成度の高いルールの土台となったり、新たな閃きの呼び水となるわけです。
たしか、AGONの後書きに「このゲームはフランケンシュタインの怪物」という記述があり、多くの天才的な先人に謝辞が送られています。かといって、AGONは継ぎ接ぎだらけの醜いTRPGではありません。プレイヤー同士の競争という基本アイデアを、骨太で一貫性のあるルールが支えています。シンプルなのに戦術性のある戦闘も含め、ここまで高いレベルで完成されたRPGはそうないでしょう。蓄積されたアイデアを束ね、シャープな建物を建てたという印象です。
他のゲームも絡めて書きたいことが山ほどあるのですが、未だに体調不良なので端折ります。
とりあえず、インディ系によくみられる特徴と個人的に考えている点を、簡単に取り上げることでお茶をにごすことにしましょう。
1.単品で完結する
拡張セットの類は考えず、単品でしゃぶり尽くせるルールとして販売されることがほとんどです。出るとしても、シナリオやキャンペーン本がほとんどです。データをどんどん増やすという、いわゆるD&D商法はほとんど見られません。データを詰め込んだルールブックではないので、アイデア勝負となります。また、一冊買って読むだけで遊べるから、財布に優しく、私みたいに英語力が低い人間にも読む気を起こさせるかもしれません。
#PCを強化するデータを釣り餌にして買わせるやり口があんまし好きじゃないので・・・(笑)
2.プレイヤーをして語らしめる
プレイヤーは、GMの用意した舞台を探索するPCの操り手に止まりません。GMとともに、セッションで紡がれる物語に直接関わっていきます。場合によっては世界すら、プレイヤーの想いのままに変化します。逆を言えば、お客さんではなく、積極的な参加を求められます。行き着くところまで行くと、GM不要システムすらあります。GM不要システムはモチベーション維持のため、PC同士が競い合う形態をとったり、舞台設定が極端なものが多い印象。
また、プレイヤーの視点にPCのものばかりでなく、GMのそれも入り込んでくる場合があります。一般的なRPGでも、PCに没頭するだけではなく、プレイヤーの視点から動いて、セッションを調整することは普通に行われますが、この場合の視点切り替えはゲームを成立させるため必須となります。戸惑う人もいるでしょう。また、参加者がお互いを信頼し合うことなしには成り立ちません。
#このPC視点云々の話は、うちと前後する世代の遊び方の癖かもしれません。
#最近の世代は、PCに憑依した視点を持たず、操り人形的な感覚を持つのでは?
#という話題が以前3部であがってました、なので、一般論としては扱えないかも。
3.コンフリクトの解決が話を広げる
ゲーム内でのコンフリクト解決ルールに、話を広げるための仕掛けを持ちます。上とも絡むのですが、PCが障害を乗り越えるために、プレイヤーからセッションに寄与する要素を引き出し、GMはそれを取込み先の展開を組み立てるわけです。例えば、AGONだと、自分の得意分野を使って、事態を進展させるためのアイデアを出す必要があります(そうしないと他PCにスコアで引き離されるので!)。S7Sでは、失敗時に「どのように失敗したのか」をプレイヤーが説明すると、スタイル・ダイス(ヒーロー・ポイント)がもらえます。DitVでは、レイズとそれを受けるするたびに、状況変化や台詞を描写していかなくてはなりません。
2も含め、これらの構造を持つルールはナレーティブと呼ばれています。どんどんアイデアを思いつき、どんどん喋ることが重要となるわけですが、当然プレイヤーの向き不向きが大きく現れることとなります。
また、話を進めるために判定をざくざく行っていく必要があったりすると、慣れないとGM側も話のテンポが作りにくくなるかもしれません。Don't Rest Your HeadをGMした際にそのような印象を刻まれました。
#DRYHはダイス振りすぎなので、余計に!
4.即興性に重きを置く
前項がルールに組み入れられた結果として。シナリオをかっちり準備することよりも、プレイヤーからセッションの場で引き出した物語の要素を、広げていくことが重要視されるケースが多いです。そもそも、きちんと準備していても、プレイヤー権限が強すぎてぶっ壊されるケースのが多いと思われます。データ作成などで、準備に大量の時間を食われる大手RPGを反面教師にした部分もあるのでしょう。忙しい社会人にとって、用意は最低限でよい、というのは大きな魅力です。GMが準備する練り込まれた物語とか、考えられた話の分岐とかよりも、参加者が共同作業で即興的に組み上げていく物語の方が、ずっと生き生きとして面白い。そんな思想が根底にあるのでしょう。
個人的に、大いに理解できると同時に、初めて目にしたとき最も違和感を感じたのがこの項目です。自分が現役時代に仕込まれたTRPGの形は、GMが風呂敷に入ったアイデアをプレイヤーにの前で広げ、セッション中の相互作用の引き金とするものが主でした。即興性を重視するシステムは、準備が楽であるという反面、GMを機械的裁定者かつ、プレイヤーのアイデアを拾い集めて再構成する受け身な立場に追いやるように感じられたのです。さすがに、GMの創造性が大切、とか口走るほど傲慢ではありません。けれども、ルールにGMからの誘導を一切行わないように明記されていると、やはりびっくりしてしまいます。
#今は慣れたからそうでもないけど
一つには、所属しているサークルにおいてGMのアイデアこそが評価される傾向にあり、特に現役時代はその潮流にさらされて過ごしました。そのため、即興だけですべてを済ませることに“手抜き”という心証が結びついていたりするのです。自分が、比較的アドリブでなんとかしてしまうGMだっただけに、アイデア勝負するスタイルへの憧憬も含め、よけいにそういった思いを抱くのでしょう。
#最後は何故か自分のことばかり書いてますな・・・
#胸にもやもやを抱えていたっぽい。