断片の物置、跡地

記憶の断片が散乱するがらくた置き場

葡萄畑の番犬たち


 あんまりにもしんどいので、今日はとうとう昼から休みを取ることに。
 夕方から病院へ行って、薬飲んでさっさと寝ます。くしゅん。


 昨日まででDogs in the Vineyardをざっと読みしたので、ふらふらする頭でメモ。
 2004年に作られた西部劇ものであり、インディペンデント系では非常に有名な作品のようです。西部劇というだけでも少し敷居が高いわけですが、加えてPCが旅の聖職者という立場であり、キャッチー感がまるでありません。ルール、テーマともに刺激的なのですが、サークルで遊べるかは少し微妙。現実のキリスト教をカリカチュアライズしているとはいえ、それに沿った良心や苦悩を考えることがテーマの形成に深く関わっているため、馴染みが薄すぎるのではないかと考える次第です。


・舞台設定
 19世紀半ばのユタ周辺地域の「現実にはなかった西部」を舞台とする。ソルトレイクシティに入植したモルモン教徒が、暫定的に提案したディザレット州を想定している。地域を支配するのは生命の王を讃える教えであり、もろに末日聖徒イエス・キリスト教会(いわゆるモルモン教)。PCたちは街々を巡り、様々な危機を解決していくことを目的とする。
 東には堕落した教えに染まった都市が栄え、祖霊信仰をもつ山の民(アメリカ・インディアン)との軋轢も絶えない。南北戦争以前なので、銃器は洗練されておらず、西部劇でおなじみの6連リボルバーもまだ行き渡っていない。致命的な武器であると同時に、手入れの難しい銃をPCたちは手にすることとなる。


・PC
 生命の王に仕える番犬(Dogs)となる。年齢は10代終わりから20代初めで、性交経験のない男女。地域の世話役などに見込まれ、信仰の中心地である婚礼の滝の街(Bridal Falls City)にて数ヶ月の訓練を受けた直後となる。イニシエーションを受けた彼らに与えられる任務は、手紙や通達を街に伝え、そこで発生している問題があれば解決に乗り出すこと。彼らは宗教上の権威を背負っているが、それが必ずしも領域を支配するものの権威と一致するとは限らない。番犬たちは、自らの判断で、時には神の正義をなし、時には情けを示すこととなる。
 PC作成は、経歴を5タイプから選び、それで決定されたダイスを「能力」「特徴」「関係」「所持品」に割り振る。
 能力は「鋭さ」「肉体」「心魂」「意志」に分かれており、通常は二つを組み合わせて用いる。
 特徴は、そのキャラクターの興味深い側面を勝手に決めて、ダイスを振る。「馬に慣れている」でもいいし「近眼で眼鏡が必要」でもいい。「銃の名手」なのに1d4しか振らないという取り方も問題ない(実戦では足がすくむなどの理由を考えればよい)。要はそのキャラクターの興味深い部分なので、一見すると欠点を取得することすらかまわない。
 関係は、他者やものにどれだけ興味を引かれているか。「血縁」に自動的に1d6が割り振られている。特徴同様に、縁の強さは割り振られるダイスには関係しない。「故郷の婚約者」が1d4だろうと「山道ですれ違った薪を担いだ老人」が2d10だろうとよいとされる。重要なのは、その相手に対してどれだけ強い興味を抱いているかなのだ。作成時には2つほどに振ればよいと指針が定められており、残しておいてセッション中に割り振るのも可。
 特徴か関係で、自分が番犬であることにダイスを最低1個は割り振らなくてはならない。前者なら単純に「私は番犬である」でいいし、後者なら生命の王や、世話役、あるいは組織との関係にすればいいだろう。
 所持品は、関係に振るダイスから割り当てる。素晴らしい愛馬やら、大きな銃などを取得できる。割り振られたダイスと、見た目の基準が一応定められている。また、銃器に関しては自動的に1d4が加えられる。初期から番犬のコート(通常は家族や故郷の人々が編んでくれたもの)に2d6が振られている。コートの見た目は表紙を参照のこと。
 最後に、業績を考える。プレイヤーから「このキャラクターは〜がしたい」と希望を聞き、それと対になる相手を設定する。例えば「悪魔払いをしたい」なら相手は悪魔だし、「癇癪を抑えるすべを学びたい」なら相手は教師となる。そしてGMの4d6+2d10と、関連する能力、特徴、関係、所持品ダイスで争う。勝っても負けても、1d6の特徴を一つ手に入れる。例えば「悪魔払いをしたい」で、プレイヤーが勝てば「悪魔を払ったことがある」になるし、GMが勝てば「悪魔払いに失敗したことがある」となる。トリッキーなのは、後者の例である「癇癪を抑えるすべを学びたい」などの時。プレイヤーが勝てば「癇癪を抑えるすべを学べなかった」となり、GM(教師)が勝てば「癇癪を抑えるすべを学んだ」となる。実際のところ、あまり有利不利はない。


・判定方法
 争いとその解決はこのゲームの中核をなす。
 「会話(鋭さ+心魂)」「戦闘以外の身体行動(肉体+心魂)」「近接戦(肉体+意志)」「銃撃戦(鋭さ+意志)」の4タイプから争いのスタイルを選び、関わりのある「関係」「特徴」「所持品」ダイスを集める。GMもNPCのダイスを揃え、お互いに振り合い保持する。そして、それぞれ一番高いものを二つ選び、それを比較し、複数人が関わっている場合は高い順から「レイズ」を行っていく。一対一なら争いを仕掛けた側がレイズする。
 レイズ(Raise)は振ったダイスを二つ組み合わせて行う。レイズされた側は「応じる(See)」ために、レイズ側のダイスの出目以上を、手元に保持されているダイスから出さなければならない。この際、1つのダイスで応じることができれば、そのダイスは破棄せずに次の自分のライズで用いることができる。2つのダイスで応じた場合は、回避かブロックが成功したと見なされる。3つ以上のダイスを用いた場合、余波(Fallout)が発生し、何らかのダメージを被る可能性がある。こうやって互いにレイズと応じるを行い、相手のダイスを尽きさせれば勝利となる。
 レイズと応じる際には、どのような行動をとったのか、台詞などを交えて描写する必要があるのは、この手のゲームの基本。
 自分のダイスが尽きてしまった場合は、状況をエスカレートさせることによって挽回できる可能性がある。つまり、会話でうまくいかないから近接戦に発展するとか、そういう流れ。エスカレートさせた場合、関連する能力、特徴、関係、所持品から新たにダイスを得て、振ることができる。ただし、一度の争いでは、それまでに使ったダイスが再供給されることはない。例えば、会話から近接戦に移行した場合、被る能力がないため、新たに「肉体+意志」のダイスを得ることができる。しかし、会話から銃撃戦に移った場合、鋭さが被っているため、意志のダイスしかもらえない。
 状況を丸く収めるはずが、かえって事態をエスカレートさせる、ことが自然と再現されるルールとも言える。特に、銃器には最初から1d4の修正がついているため、相手を抑えるために思わず銃を撃ってしまった、などということが起きるのだと考えられる。
 余波は悪いことばかりではない。次の争いで使える1d4の特徴を手に入れたり、余波判定の時に1の出目があれば、成長することもできる。もちろんそれらは、他のプレイヤーが状況に合致し自然だと考える形で取り入れる必要がある。そのため、序盤の言い争いに敗れておいて、関係や特徴を得ておくといった、戦略的な使い方もできる。
 戦闘のタイプが変われば、余波は大きくなり、大きな負傷や死亡を伴う可能性も出てくる。


・街
 セッションの基本形態は、PCたちが街を訪れ、そこに潜む問題と対峙する形をとる。
 GMはシナリオとして、街を設定し、起こっている問題を決めておく。「高慢(不正義として現れる)」が「罪」を導き、罪が「誤った教義」を導き、誤った教義は「偽の聖職者」を導き、彼らは「憎しみと殺人」を呼び込む。実態を持たない「悪魔」が街に入り込んでいるのだ。
 問題は複雑に込み入っており、誰かを射殺すれば全員が丸く収まることは、まずない。PCたちは地上の権威と対立しつつも、正しいと思ったことをなさなければならない。解決のための手段、堕落してしまったものに正義の鉄槌を下すのか、あるいは温情を持って接するのか、それらは全てPCにゆだねられている。正義をなそうとして、よりいっそう被害を拡大することすらあるだろう。時には、PCが悪魔の囁きに耳を貸してしまい、邪術師と化すことすらあるかもしれない。あるいは失望し、棄教するPCが現れることだって起こりうる。
 争いとその解決が、自然と事態をエスカレートさせ、人間関係を形作っていくため、形作られる物語は劇的でPCに関わったものとなる傾向が強い。シリアスなテーマが扱われるため、参加者に恵まれれば、深みのある話を楽しむことが可能だろう。
 なお、このゲームにおける超自然現象の扱いは、参加者にゆだねられている。宗教儀式に神の権威を示す以外何の力もなくても、何ら問題はない。また、悪魔は実体を持たない。悪魔が災いを呼び込んだり、人に取り憑いたり、邪術師を仕立て上げたりすることになってはいるが、存在を立証することは不可能だと思われる(GMは悪魔の影響として2d10を争いに用いるが)。結局は、人間対人間のドラマが中心となるのだ。