断片の物置、跡地

記憶の断片が散乱するがらくた置き場

エンターテナーたれ

 GMするにせよプレイヤーとして参加するにせよ、TRPGにおける重要な要素は、いかにエンターテナーたり得るかです。
 ぶっちゃけ、ネタがマニアックであっても、アイデアが陳腐であっても、場を湧かすことさえ出来ればセッションとしては楽しめます。それを無意識にでも為そうとすること、各々に最適な形でそれを引き出すことこそが、現役時代サークルに参加することでたたき込まれた「技術」といえるものです。それは、私みたいな自分勝手なOBでも例外ではない。
 ・・・ということを数ヶ月前に指摘されて、深く納得しました。
 と、同時に、別の方からは「それを意識しないでプレイできる間がTRPGを一番楽しめる」といった説も聞きました。確かに、二回生ぐらいまでの、ただ貪欲に遊んでいた時期が、記憶に残るセッションも多かった気がします。その時は気がついてませんが、それを可能としたのは、GMや他プレイヤーがサポートしてくれたからこそです。キャラいじりも含め、その時期に他者を楽しませる方法を遊びながら学んでいったのだと思われます。
 逆に言えば、からくりに気がついて、自分がサービスする側に回れば、遠慮せずにただ遊ぶことは難しくなります。知恵の実は喰わない方が幸せってことでありましょう。
#なもんで、今の2回生を見ていると「行儀よすぎるよ!もっと暴れようよ!」と煽り立てたくなる


 去年サークルに復帰したあと、よく「GMしたあとは必ず“失敗した”と言うから、お前さんの自己評価は信用しない」と言われたものです。何故そうなるかというと、『もっと面白くできたはずのあれやこれや』がGMの立場だとはっきりと見えるからです。目に見える大ポカをやらかさなくても、もっとプレイヤーを楽しませることが出来たはずなのにあっこでもこっちでもミスしているな、と思い返しているうちに、「失敗でーす」と口走ってしまうのです。
 人によっては煩わしいことこの上ないだろうし、悪癖なのは自覚しています。
 けれど人を楽しませるという基本を忘れないためには、こんな姿勢でも有効なのだと思います。技術論を大上段に振りかざしたり、セッションの失敗をプレイヤーに押しつけたり、経験が豊かなTRPGゲーマーにはただでさえ陥りやすい落とし穴が多いのですから。
#自分にそういった側面があることは否めないので・・・

 で、今の自分が何を目指しているかというと、自分が楽しめるネタを、できる限り他者視点を意識せずにシナリオに組み上げ、かつ参加者を楽しませることが出来るか、というアホな試みだったりします。そんなわけで、意識的にGMする機会を増やしていたら、四ヶ月で13回(キャンペーンGMを含む)やっていたことに気がつきました。いくら実践重視とはいえ、質の低下が著しいので、ちょっと自制しよっと・・・。