断片の物置、跡地

記憶の断片が散乱するがらくた置き場

システムと物語(雑感)

 気分転換。
 以下の駄文は、TRPGの生み出す物語を重視する目線で書かれたものです。自分にとってはそれが一番楽しい要素だからですが、他の遊び方を否定する意図は一切ありません。自分も戦闘における有利さを追求したり、愉快犯を演じたりして楽しむことはありますゆえ。ご了承下さい。


 TRPGにおける「物語」とは、GMが地ならしを済ませたストーリーをセッションにてなぞるだけではありません。それを触媒として、形成されるものだと考えております。しかし、GMの提示するストーリーがプレイヤーの嗜好や楽しみと必ずしも合致するわけではありません。逆に、プレイヤーが好き勝手に動いた結果、セッションが成り立たなくなることもあるでしょう。
 ルールによってその溝を埋めようとする試みは昔からなされてきました。例としては、『ジェームズボンド007RPG』におけるヒーローポイントや、『クトゥルフの呼び声』におけるSAN値があげられるでしょう。(とか書きつつ、前者はルールブックを見たことすらなかったりする・・・)


 一歩踏み込んで言うならば、「世界観」もシステムの一部だと見なすことができるでしょう。『ルーン・クエスト』の緻密で魅力溢れるグローランサが一例としてあげられます。属するカルトや出身地から、キャラクターの性格テンプレートを想像することができ、それを基準に動くことでストーリーの枠組みを維持できるからです。90sはその辺をうまく取り込んでいたなあと、今でも思います。
 ただ、構築された世界に皆が親しめるわけではありません。特に、興味の薄い人にとっては苦痛となることすらありえます。私自身も、無用に細かい設定には胸焼けを起こしてしまう質です。ある程度までなら引き込まれるように読むのですが、シナリオのネタとしてすら微妙なフレーバーが羅列されていると本を閉じてしまいます。最近だと、『ヴァンパイア:ザ・レクイエム』の興味が薄い盟約の設定を、読み進めるのがだるかったですね。緻密な世界観が持つ魅力を否定するわけではありませんが、遊ぶための敷居を無用に高くする弊害は存在します。
 加えて、一線を越えた微に入り細を穿った設定の数々は、ストーリーを形成する上でさほど役に立ちません。戦闘やデータを突きつけ合う楽しむ方向からも、意味合いは薄いでしょう。マニア心を潤し、語られた設定の数々を聞いた他の参加者が、「へ〜」で流して終わるのが関の山です。(と、書き出すと悪意が滲み出ますな。自分も詳細な設定は好きだから、自戒を込めて書いているのですが。)


 大きくずれたので、ルールに話を戻します。
 このルールからストーリーを支えるという試みも、不徹底ゆえに機能不全を起こすことがありました。不徹底、と書いてしまうと、不備を誹るかのような響きを持ってしまいますが、必ずしもそのような意図ではありません。なぜなら、シナリオにおいてやるべき事が強制されているわけではない、そのグレーゾーンの自由こそがTRPGを面白いものにしてきたからです。
 機能不全について例をあげてみましょう。サークルでよく言われるのは『クトゥルフ神話TRPG(以下CofC)』における探索者の行動指針です。CofCは、探索者が真実を見いだし、場合によっては行動することで最悪の結果を食い止めるという方向性をもつシステムです。しかし、実際にプレイすると、怪異を追求する目的意識よりも、恐怖から我先に逃げ出そうとする意志の方が先に立つ状況もざらです。SANの減少が目に見えるがゆえ、逆に「次に何か目撃すると狂乱(あるいは発狂)する」事が分かった上で、プレイヤーは行動を選択するからです。結果、プレイヤーはPCが発狂または死亡すると了解した上で、プレイヤーにだけ理解できる真実(モンスターの正体など)を見極めるために、明らかに不自然だけど突っ込ませるという状況が時々発生します。あるいは、魔道書を読めば封印の方法が分かると、プレイヤーは分かった上で図書館に籠もる行動をとったけれど、現実の怪異に追われて焦っているはずのPCが、古ぼけた書物の中に解決方法を見いだそうと長時間をかけるのは変だな、とか。いろいろな「お約束」に支えられている部分があるのです。
 また、CofCは古いシステムを引きずっているため、ゲームの目的とルールとの間に齟齬を抱えています。CofCは調査を積み重ねて真相にたどり着くのが基本なのに、運悪く判定に失敗し続けて、停滞してしまう危険もあるからです。再チャレンジする方法を考えるのがプレイヤーの腕の見せ所ですし、うまい誘導を行うのが優秀なキーパーという理屈は理解できます。しかし、ルール面からもう一歩推し進めたアプローチはできないものだろうかとも考えてしまいます。(『Trail of Cthulhu』はそこを何とかしようとするアプローチだった・・・と聞いた記憶がありますが、うまく機能しているのかしらん。)
 同時に、この矛盾や、SANの減少による混乱した行動が、劇的なストーリー展開に繋がることもあります。実のところ自分自身が、どちらかと言えば古い部類のゲーマーに属することもあって、古いシステムに散見される不備を一概には否定できません。
#う、この辺お師匠さんの記事と被ってる・・・


 上記の話題が未消化なままですが、事故がストーリーに繋がるという話が出たので、今度はそちらを展開してみます。
 ストーリーを全面に押し出したのが、言わずとしれたWhite Wolf社のストーリーテリング・シリーズです。このシリーズは、美麗な表紙や雰囲気を重視したレイアウトにイラスト、子供向けRPGからは一線を画する状況に置かれ煩悶するPCたち、マニア心をくすぐる設定の数々、といった当時としては画期的とも言える要素をTRPGに持ち込みました。どなたかが書いておられたように、目にしているだけで「ストーリーを語りたい!」と突き動かされかねない雰囲気に満ちあふれていたのです。
 けれど、ルール的なアプローチという側面を考えると、物語の形成に寄与する目を惹くようなものが搭載されていたわけではありません。見た目の性格と本性を決定するルールも、自分が遊んでいる限りではさほど機能していませんでした(新版の美徳と悪徳でも同様)。
 唯一関係すると思われるのが、PCの種族的特性が厄介ごとを発生させるというルールでした。ヴァンパイアだと、空腹時や炎を目撃した際にやたら切れやすかったりする部分ですね。意図的に「事故」を発生させるルールを加えることにより、そこから派生するストーリーをSTとプレイヤーが展開できるようにデザインされている、のだと自分は思います。これがハック&スラッシュなゲームに熱中しているプレイヤーに対して起こるなら、状況を混沌に追いやるだけです。けれども、ストーリーテリング・システムは入り口で、好きこのんでヴァンパイアやワーウルフなどのはぐれものを演じたがる人間を惹きつけるよう作られており、かつルールブックの雰囲気にあてることで、傾向を助長しています。結果、PCの身の上に起こったトラブルは、STと他プレイヤーの協力を得て、ストーリーの種子となりうるのです。それがゆえに、ストーリーテリング・システムは、物語を売りとし、成功を収めることができたのだと推測します。
#と、書いたけど、当時の事情はあんまし知らんのですよね。成功の理由は他の要素もありそう。


 では、ルール的なアプローチとはどのようなものが考えられ、どのように実装されてきたのか。
 という話はまた次の機会に。
 現実逃避はやめて、土曜のシナリオを作ります・・・ぐすん。