断片の物置、跡地

記憶の断片が散乱するがらくた置き場

不条理な運命の処理

 使い方がよくわかりませんが、カテゴリ分けをしてみることにしました。
 近しい親戚がほぼ同じ地域に住んでおり、お墓もそばに移したため、里帰りとは無縁です。なのでお盆中暇ってことで、思いつくまま適当に書きますが、いつも通り飽きたらすぱっとやめちゃいます。TRPGの論考がやりたいわけでもなく、思いついたままを推敲せずに書き散らしているに過ぎませんし、そのうちに地雷を踏んで酷い目に遭うことでしょう。


 さて『深淵』の第二版で大きく変更されたルールに、運命の幻視というのがあります。このゲームのPCは大抵がろくでもない運命を最低2つ背負ってゲームに臨みます。渦型というアドリブを重視したセッションの場合、初版は付属のカードをランダム足りない運命の数だけ配り、一発で決定するルールでした。第二版からは最初に7枚のカードを配り、その中からプレイヤーが選択するというルールになっています。この選択を運命の幻視と呼ぶようです。
 しかし、選択すると言ってもカードに書かれている運命番号の対応表を読むことが許可されているのはゲームマスターのみです。何を基準に選択するかというと、同じくカードに書かれている「夢歩き」欄のイメージからです。初版と違い、ここに書かれている幻想性を喚起する言葉が運命に対応しているので選択の基準になるはずだ、というのがその理屈です。
 が、この夢歩きの言葉と運命の対応はかなりいい加減です。中にはぴたっと合っているのもありますが、なんせカード枚数は91枚で、夢歩きの言葉は(対応を想定していなかった)初版とほとんど同じです。運命自体は割と手が入っているのですが、それでもイメージの不一致はところどころで観られます。結果、意味が逆だったり、強引すぎる結びつきだったりするのが散見されるのです。
 個人的には、システマチックに割り切り過ぎない理不尽感が残った方が(意外性も含めて)、幻想ものとしては正しいと思うのでこれに不満があるわけではありません(神話や世界設定までシステマチックに切り貼りした結果、味気ないものに仕上がってしまったRPGのシステムを時々見かけますし)。とはいえ運命の幻視で運命を選択することとは、闇鍋で入れる材料を選ぶようなものであり、決してプレイヤーの意志を反映するものではありません。よくわからないから、かっこよさげなのを選んだら「破滅の予言」とかだったりするのは初心者が陥りやすい罠です。(というか、デザイナーはそれを意図して作っているんでしょうし)
 『深淵』の運命リストは、相当に不条理なものが混ざっています。どの運命であってもきちんと使えばそれなりの見せ場やドラマチックな展開を作り出せます。しかしアドリブ中心の渦型において全PCのすべての運命を使い切ることは手慣れたゲームマスターでも難しく、放置される運命や投げやりにルール処理される運命が出て来てしまいます。
 つまり、「自由」という言葉に着眼してイメージをふくらませた初心者プレイヤーが、「死の予言(戦闘中で大失敗した武器が自分に飛んできて致命的な打撃を与える)」を選んでしまい、その落差にモチベーションを低下させる可能性もあるということです。加えて、ゲームマスターが他の運命処理やシナリオ展開に手一杯で、ルール上で単純に処理が可能な「死の予言」にはさほど触れないまま、途中の戦闘でNPCが大失敗したのを予言の発動に用いて終わらせたとしましょう。プレイヤーにとっては、釈然としないまま進めていると、他人の大失敗で自分が被害を受け(死なないだろうけど)それで運命は解決されたと告げられたら、人によってはシステムに対して悪印象を持ってしまう危険性すらあるでしょう。
 私がゲームマスターをする場合は、慣れていないプレイヤーがそういった不条理な運命を引いた場合、本人に内容の確認をとって希望があるなら引き直しを許可するというスタイルです。チキンなので、最初は少しぐらい派手な運命で遊んでもらった方がいいとすら考えてしまいます。ルールを厳密に適用することは大切ですが、イメージを重視するストーリーゲームを謳う『深淵』においては、そのような配慮も時に有効であると考えています。