断片の物置、跡地

記憶の断片が散乱するがらくた置き場

セッションに協力するということ

 TRPGでセッションに協力する、はしばしばプレイヤーに奨励される行動です。けれども、この言葉は二つ(以上)の意味で解釈できる困った存在でもあります。
 ひとつ目は「GMの意図したシナリオに沿う形で行動し、停滞などが起こらぬよう調整する」こと。
 ふたつ目は「よりセッションを盛り上げ全員を楽しませる」こと。
 前者は大抵の場合良いこととして奨励されるでしょう。しかし、初心者GM相手ならともかく、常にGMの意図通り動くだけではダイナミックな楽しみが存在しません。暴論と思われるかもしれませんが、時には破綻も必要だというのが私の基本的な考え方です。完全なシナリオなんて作りようがないから、GMが想像もしていなかった方向に急旋回することはRPGでしばしば起こります。時としてシナリオ崩壊にもいたるこの揺らぎの瞬間こそが、次のステップへの入り口でもあるわけです。
 ゲームマスターはPCがとった意外な行動に対処して、その場でシナリオを修正しつつ筋が通るようにつないでいくことでしょう。この自由落下の時、ゲームマスターとプレイヤーが綱引きをしながら展開を動的に生み出す時間はスリリングかつ楽しいものです。GMにとってはシナリオの意外な一面を発見し広げていく面白さがあるし、プレイヤーにとっては自分たちの意志を反映させ話の可能性を創り出す喜びがあるでしょう。この経験が繰り返されることによって、より柔軟で多様性のあるセッションが行えるようになるでしょう。
 時には、シナリオの想定にない行動がとられた際に「なにもなかった」とスルーして次のシーンに無理矢理つなげるケースもあります。本当に思いつかなくて困ったならそれを緊急回避の手段にするのもありでしょう。でも、毎回その対処をとったり、想定外の行動をとるプレイヤーを「困ったちゃん」扱いするのでは進歩がありません。行動の自由を盾に傍若無人を繰り返すプレイヤーが問題なのは間違いありませんが、セッション内で一応筋の通った行動を行った結果「想定外」に至ることもよくあり、それをも縛るのはTRPGの可能性を潰す興ざめな行為だと考えます。
#もちろんGMにある程度の経験があり、場合によっては参加者が顔なじみであることが前提条件


 こんな当たり前のことを今更書くの?・・・と自分でも思います。