断片の物置、跡地

記憶の断片が散乱するがらくた置き場

美しい物語ってなんだろう?

 つらつらとシナリオを作りつつ、ふと、『深淵』で言われる「美しい物語」とは何を指しているのかと考えてしまいました。美しい、は前首相のお気に入りのフレーズだったようですが、解釈が個人に委ねられた範囲の広い言葉のように思います。それでも自然の美とか、生まれてこの方浸ってきた文化による美醜の判定とかはまだ共感が得やすいでしょう。しかし、「物語」の「美」となると個人の嗜好に依存しすぎるため、明確な基準など作れようはずがありません。なのでシナリオ紹介でシステムの説明をする時はいつも、暗めのエピック・ファンタジーみたいな表現を使ってました。
 で、個人個人の「美しい物語」を追求させると、大抵セッションがばらばらになります。それは協力しないプレイヤーが悪いんだって? その主張は理屈としては通っても、(自分の経験では)多くの場合はゲームマスターの段取りが悪くてプレイヤーが動きにくい状況が起こっていたりします。なのでプレイヤーがよっぽど非協力的でない限り責任はゲームマスターに帰すると私は考えます。結局のところ、劇的な展開を後半に持ってくるか、ゲームマスターが有無を言わせぬ雰囲気を作ってしまうしか、「美しい物語」を実現する方法はないかと。後者の方法は体力がいるけど、昔はできていた気がします。今は・・・方法論で迷っているから無理かな。